ゴルフスクール40年の歩み(1985)宮本留吉プロご逝去(享年83才)
- ngcfrom1979
- 2024年2月10日
- 読了時間: 3分
更新日:10月8日
1985年(昭和60年)

12.13 宮本留吉プロ逝去(享年83歳)。写真は宮本プロと一緒にNGCコンペチャンピオン大会 (船橋CCにて。1984年4月)を開催した時のものです。この時は杖もつかず、ベンチにも一回も座らず、さすが一流プロは違うと感嘆した覚えがあります。とても一年後に逝去されるとは...。
この年「宮本留吉ニューゴルフクリニック」から「NGCニューゴルフクリニック」に名称をかえます。
9月「プラザ合意」=ドル高是正のため。日本は円高不況になり日銀は超低金利続ける。その結果投資が加速、株や不動産価格が暴騰。いわゆるバブル経済のきっかけでした。そしてこのあとゴルフプレー代が急激に上がりました....どうして?。
(2025年10月加筆)
chatGPTに次のように聞いてみました。
「プラザ合意の後ゴルフプレー代が高額になりました。なぜでしょうか?」
答え
「とてもいい質問です。それはいくつかの経済的・社会的背景が関係しています。順を追って説明します。
①円高による国内資産バブルの発生
--プラザ合意によって円が急激に上昇(1ドル240円が120円台に)
--輸出産業の打撃を補うため金融緩和(低金利政策)を実施
--これにより資金が不動産や株式市場に流入しバブル景気が発生(1986~1991)
--ゴルフ場開発にも資金が流れ、土地価格や会員権価格が急騰する
②ゴルフが投資として扱われた
--会員権を持つことがステータスであり価格が高騰
--ゴルフ場も高級志向、接待用として整備されプレー代や入会金が高騰
③接待・企業需要の急増
--円高不況を受けて輸出企業は国内営業強化へ
--ゴルフ接待がビジネスの定番となり需要が急増
--結果的に河川敷や郊外のコースも値上げに
④土地コストと開発費の上昇
--地価高騰によりゴルフ場用地の取得・造成コストが大幅に上昇
--ゴルフ場の建設や維持にも資金がかかり
--プレー料金に転嫁されました
以上です」
私「納得です。お見事でした。ただ、やり直せるとしたらどこからどうすれば良かったのですか?だれか教えてください」加筆終了
この年 PGA(日本プロゴルフ協会)インストラクター資格認定制度が発足 しました。
2002年よりレッスンプロの名称を「PGAティーチングプロ(PGAの登録商標)」とする。
ティーチングプロB 級は計26日間の講習、実技試験、検定試験 をへて最終審査を通らなければならない。費用は63万円以上かかります。ティーチングプロA級は、さらに一年間の研修期間をへて16日間の講習会を受けてA級に昇級できます。ティーチングプロにはおいそれと簡単にはなれなくなりました。
清洲橋教室開校(新部茂プロ担当) パンフレット30万枚(9万円)をポスティング する。ただ翌年ワープロを購入、ワープロで原稿を自分で作成する。このためチラシの原稿作成代がかなり削減でき助かる。
「YOSE-1 研究会」始める。至:浦和G 午前中練習 午後9ホールプレー 。料金は日曜日で¥18、000。レッスンがついてラウンド(当時プレー代はとても高額でした)もできると好評で毎回定員(8名)に達していました。
「おさらい会」第4回~9回 至:鹿沼CC 参加人数毎回20名 とこちらも好評でした。
この年の所属プロは 吉田勝彦プロ(8月まで一人体勢)と 新部 茂プロ(9月より)。新部プロは当クリニックで練習を続けプロゴルファーに転身したのです。 1,882







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